JOKERみてきました(10月6日)

  Joker見てきました。わりとネタバレするかもしれません。そんなん東京でもできるのにとか言わないでください。真にシンガポールでしかできないことなんてそんなに沢山はないし、あったとしても去年ひと通り終えてる。やりたいと思ったことがストレスなくやれることが大事で、ジョーカー見たいと思った時にすぐに見れるシンガポールは最高。劇場は例によって少し寒かったけど映画に集中できないほどではなかった。

 巷で言われているほど衝撃的でも鬱な内容でもなかった(主人公が最終的にあのジョーカーになるという筋は最初から見えているわけだし、基本的にはアメコミの世界だと思ってみれる)けれど、見た後に考え込ませる引っかかりが多くて噂通りいい映画だなと思った。あと、心優しい主人公が酷い現実に狂ってしまう的な前知識で行ったけど、別に主人公は特別心優しいとか言うわけではなさそう。(優しくないわけではないけど)そういう感想は優しい人と気弱で無害な人を取り違えてるんじゃないかなと思った。

 基本的に50年代の世界観で作られていて最初のクレジットもそういうテイストで出てくる中で、タイトルだけがゴシックで画面いっぱいにJOKERってバン!って出てくるのが格好よかった。クライマックスでアーサーがジョーカーとしてテレビに出るところ、アーサーのいつもの仕草といわゆるジョーカー的な仕草の地続き感と化けてる感が絶妙だった。メイクしたジョーカーと素顔のアーサーがどれだけ同じ人物として見れるかがこの映画の肝の部分だと思うけれど、そこを凄く丁寧に作っている。

  この作品は一貫して「笑い」とか「笑顔」とかを否定していて、それが凄く共感できる。アーサーが劇場に忍び込むシーンでは、外で貧しい群衆がデモしてる中で上流階級の人達が超豪華な劇場でチャップリンをみて笑っている。(映画人がこんな風にチャップリンを否定するって凄くないですか?しかも主題歌も皮肉として使ってる)

  お笑いはすぐに人種やジェンダーの差別に結びつくし、そうでない笑いだって、自分とか、けなしてもそんなに怒られない人を、怒られない程度におとしめて、見る人の優越感をくすぐっている構造に変わりはない訳で、本質的に暴力的だと思っていて、(中学校とかの面白いやつって大抵いじめっ子かいじめられっ子と紙一重のとこにいる奴だった気がする)だから笑いは人を癒すとか笑いに元気をもらうとか聞くと本気で言ってる?って思っちゃうんだけれど、そういうもやもやを言い当てていてすごい。

  それに加えて、「笑顔」に現実を無理やり肯定させられるってのもすごいわかるしそれの描き方もずば抜けてる。アーサーは精神疾患で病的に笑うけど、あれを微妙な愛想笑いに変えたら俺じゃね?みたいな場面って結構ある。最初のシーンでピエロの格好して振ってる看板に「everything must go」って書いてあって、悪ガキにそれでぶん殴られるんだけど、そのシーンが映画を象徴していたと思う。笑いって尊いよねみたいな感覚が気持ち悪かった自分にとっては、怖いとかゾッとするとかいうよりもカタルシス的な気分の方が大きかった。(それはそれでまずい気もする)ともかくすごくいい映画だったと思います。ストーリーも全く矛盾なくてほとんど全部のシーンが納得がいくようになっていたし、画面構成とか色の感じとかも良かった。まだ人はぜひ見てください。

シンガポール建築巡り3

ホテルから徒歩5分のシンガポール最高裁

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去年の留学中にぜひ行きたいと思いつつ、なにも知らずに閉館日の日曜日に来て以来、行かずじまいになっていた建物。ぱっと見ると、着陸したUFOみたいな最上階の円盤が気になるけれど、慣れると不思議と最高裁らしい格式を感じさせる。

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近くで見るとUFOの存在感はそこまでない。敷地ギリギリいっぱいまで建ててあるボリュームをガラスのアトリウムで分割した単純な構成で、薄切りにした大理石が張ってあり、大理石越しに外の光が建物内に入ってくる。比率構成が上手いのか、下手な植民地時代の建物(大抵改修されて真っ白になっているやつ)よりずっと威厳がある。細いワイヤーで吊られたキャノピーも上手く言えないけどファサードに奥行きを生んでいて、懐が深い。鉄とガラスの建物なのにオフィスビルっぽさがないのは大理石が見るからに高そうだからだけではない。f:id:mixologist2828:20191004203427j:image

でもやっぱり高そう。干物の開きみたいになってる。

中は撮影禁止だったけれど、ブロック毎に法廷が割り当てられていて真ん中のアトリウムにどでかいエスカレーターがある。動線はとても明快。真ん中の6層になっている部分が法廷で公共がアクセスでき、4層になっている周囲の部分が法廷関係者の空間になっている。UFOには大審院がある。

誰でも入れて、UFOからは市内がわりと一望できるからおすすめ。写真は撮れないけど。ついでだから傍聴していく。シンガポール訛りが強すぎて、なんの事件かは最後まで分からなかった。専門用語のせいもある。代理人と判事の話は終始噛み合っていなかった。判事がしきりに「そうじゃなくって俺が聞いてるのは…」って言ってて、代理人はその度に用意してきた資料を読んでいた。講評会で空回りする自分を思い出していたたまれない気分になってすぐに退出してきた。冷房が強すぎたのもあるし、内容が一言も分からなかったのもある。

 

設計はフォスターアンドパートナーズ。個人的にシンガポールいちおし建築のひとつです。

チーペスト・フライト・トゥ・シンガポール(10月2日)

体調が良くない。7時ごろに一度起きて、また寝る。ここ数日、軽い食中毒になっていた気がする。いつもより疲労がきつい。腹痛でまた起きる。最寄りの篭れるトイレは徒歩5分で開店時間を把握していない。しばらく苦しんでいると大分ましになってきたが、活動する気にはなれない。

今日のタスクはちゃんとシンガポールへ行くこと。寝すぎて頭痛がしてきたので荷造りを始める。LCCは荷物の重量制限が厳しい。行きは10kg、帰りは7㎏。観光でもなんでもなくビザをミスっただけの旅行なので、一番安いチケットを取っている。

 

https://music.apple.com/jp/album/cheapest-flight/1152470810?i=1152470985

 

部屋はすぐに砂埃をかぶるので出来るだけモノは机の中とかにしまう。子供たちに見つからないようにこっそり戸締りをする。1週間いないことは彼らは知らない。正確に伝えることはどのみち無理だろうけれど。夜逃げするように地域を抜け出してバイクタクシーにのる。この危なっかしい乗り物も、ようやく手汗をかいたりせずに乗れるようになった。

空港についても体調はほのかに悪い。途中で5000円くらい落として気分も悪い。部屋に忘れただけかもしれない。あんな大金を財布に入れておくんじゃなかった。百均のジッパー付きソフトケースを財布にしているのだけれど、2週間前にはそこに入れておいた鍵をなくして、おっちゃんと真夜中にドアを壊すはめになったばかりだったのに。ゲート前の丸亀製麺で素うどんを食べる。弱っているときのうどんは格別。

飛行機の最後列に座る頃にはすっかり夜だった。肘掛には穴が空いていて、前の座席は心なしか近い。隣のおっさんは俺のシートベルトを使っている。最後列の座席は倒せないようだった。

機長とCAは驚くほど手際よく飛行機を離陸させた。安全インストラクションもイヤフォンしてるやつを注意するのも、駐機場の順番待ちもなにもかもが流れるようにスムーズに進む。

飛行機は真北へ飛んだから、ジャカルタ湾から夜景が良く見えた。大きくて、夜でも霞んでいる。光はオレンジ色が多くて、ひとつひとつは東京よりずっと弱い。大きなビルが少ないからだろう。夜景は街の特徴をあらわしやすいのかもしれないなとか思っていた。

絵に描いたような三日坊主(10月1日)

ほんとに。まったく。早起き、筋トレ、受験勉強、教習所、郵便受けのチェック、ゴミ出し、どれひとつまともに継続できた試しがない。いずれ痛い目を見ると思っているけど、すでに見ているのに気づいていないという可能性もある。

しかし日記をさぼっていたこの一週間、とくに最初の4日間の生活から変わったこともなかったのだ。工事は猛スピードで進んでいて、チキニのwifiスポットであるKFCの前の歩道も綺麗になった。夜中に間違って生乾きのセメントに足を突っ込んでしまった場所は、朝見たら丁寧に塗り直してあった。屋台のおっちゃんたちは新しくなった歩道に慣れていない風で、すこし窮屈そうだ。

棚を作ろうとしている。少しづつ家具を増やしていきたい。この2週間ですでに何度か模様替えをした。模様替えといっても、3つある机と2つある椅子をどこに置くか、ということでしかない。近所のおじさんが材料を分けてくれたが、本当に完成するのかはわからない。

雨が降らない。地下水は最近はわりかし綺麗だけれど、いつ水が出なくなるかわからない。ポンプを動かしてみて、ハンドルに重みを感じてひとまず安心する。そろそろ雨季に入るはずだけれど、少なくとも今日は違うみたい。そういえば、なんやかんやで秋を2年連続で逃している。

今日はねずみが多い。

明日から一時的にシンガポールへ行く。ビザの手続きを誤解していて、一旦出国しなければいけない。1週間後に帰ってきたとき、ちゃんと入国できるだろうか。この手のことは本当に苦手。しかし久しぶりに一息ついて優雅な暮らしができると思うと本当に待ち遠しい。

9月22日

日曜日 昨日に引き続き、週末だから子供が多い。洗濯屋に行くとしまっていた。日曜日は休みらしい。当然といえば当然。着るものがなくなりつつある。

カンポンの外は日に日に工事が進んでいく。もうずいぶん歩きやすくなった。図書館の近くではすでに熱帯らしからぬひょろひょろの街路樹が植えられているところもあった。きっと3年後にはびっくりするくらいでかくなっているんだろうなと思う。スピッツの曲に”つくりかけの大きな町は七色の煙の中”っていう歌詞があるけど、今のジャカルタはまさにそんな感じだ。

流れ星

流れ星

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夜帰ってくると、ここそこで道端にテレビが出ていた。サッカーの試合があるらしい。マーケットの通りで呼び止められて一緒に見る。U16の中国戦で、中国人だと思って呼び止めたらしい。正面におじいさんが座っていて、この人が一番偉いらしい。ガキを使ってたばこと飲み物を買いに行かせている。テレビは半分砂嵐で、時々少し止まる。何本か惜しいシュートがあってそのたびに大盛り上がりするけれど、前半は0-0のままおわり、俺は部屋へ戻る。

 

 

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昼飯:いつもの食堂、フライドチキンとご飯。甘い揚げ餅みたいなのをサービスしてくれる。おいしかった。20k

KFCサンデー10k

夜飯:チキン粥 32K

その他、変換プラグ50k計112k

9月21日

 

子供たちに起こされる。イビスホテルに行ったけどいなかったじゃないかと言われる。明日からどこへ行くと言い訳しようか。

子供たちに聞くと、近くに図書館があると言う。Taman Ismail Marzukiというプラネタリウムと劇場と図書館(と消防署)からなる総合文化施設があるらしい。行ってみるとイビスの隣だった。入り口にIsmail Marzukiの胸像がある。すこし名前が似てる?

受付のお姉さんにWiFiを繋いでもらえた。超快適作業空間でドーナッツを買う必要もない。でも結局腹は減るのでKFCへ行く。やらねばならぬことよりもやりたいことが先に立つ性格で、KFCではずっとイラレで遊んでいた。逃避のためにやる作業がいちばんはかどる。

チキニのKFCにはキッズスペースがあって、子供が信じられないくらい大声で叫びながら遊んでいる。結構子供のことをきらいになりかけている。

今日はやたらと暑くて、ストリートのオレンジジュースを二杯も飲んでしまう。KFCでもサンデーを頼んでしまった。

 

 

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朝; フルーツ詰め合わせ15kオレンジジュース10k@そのへんのやつ

昼: チキン飯コーラサンデー@KFC33kぐらい

夜:肉団子スープ@屋台 10k

その他 水2kオレンジジュース8k計78k

9月20日

何も予定がないので10時くらいまで寝る。昨晩は蚊に刺されてあまり眠れなかった。金曜だから外がいつにも増してうるさい。

 

昨日の晩に水場によってみるとまた水上出るようになっていたから、溜まっていた洗濯物を片付ける。量が多かったのでシャツやズボンは課金して洗濯屋に持っていき、下着類だけ自分で洗う。水場で洗濯していると大抵おばちゃんに話しかけられるが、大抵何もわからない。今日のおばちゃんはジェスチャーを交えてゆっくり話してくれたから、「乾季だから水が汚い。太陽が暑い」というところはわかった。

 

昨日の食堂で昼飯を食べると本当に何をしていいかわからなくなる。KFCで論文を読んだり、読んでるふりをしたりする。何もしなくても蚊に刺されるから、蚊を叩くことにしばらく熱中してしまう

 

夜遅くまで若者は騒いでいる。街の端に住んでいるから、ほかに迷惑している人も少ないみたい。ギター弾いてみんなで歌ってたりして、それがなかなか悪くない。

 

 

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昼食 魚のフライ@食堂 18k

夜ご飯 ドーナッツ@kfc 8k

その他 洗濯26k虫除け10k計62k

9月19日

一緒にワークショップに来ていた日本人はみんな帰ってしまって、ついにチキニに一人。

午前中はインドネシア大学のキャンパスでジョコさんと面談。誇張なしにジャカルタの都市計画を変える一歩手前まで来ているらしい。すごい。その後ライハンとも会う。チキニに帰ってくると、ワークショップの模型を回収しに来ていたキキたちに遭遇したので処分される前に模型写真を軽く撮っておく。

散髪に行く。3時半頃。店は綺麗で雰囲気があってカットも上手い。驚いたことにクーラーまで効いていた。常連になりたいと思ったけれど髪なんてそんなにしょっちゅう切るものではない。かなり短くなった。シャンプーが楽になりそう。

チキ二ガールズに出くわす。高学年くらいのこいつらはなまじっかスマホを使えるから厄介で、ワークショップに来てた友人のラインを聞き出して鬼電している。もちろん俺にも掛かって来る。

今日はKFCのwi-fiが弱くて作業にならなかった。なんとかテザリングしようと苦労しているけれどうまくいかない。

久しぶりに部屋の近くの食堂で食べる。ここはサンバルが辛すぎなくておいしい。

 

 

朝: おにぎりとteh kotak @indomart Cikini駅

Rp.14.5k

昼: 魚フライ+野菜@UI KanTek Rp.12k

おやつ: ドーナッツとイチゴ茶 @KFC  Rp.17k

夜: フライドチキンと甘いお茶@近くの食堂 Rp. 20k

他の出費: ティッシュ Rp.8k, 往復交通費 Rp.6k 散髪 Rp.25k

合計Rp. 102.5k

 

11.地方の町

 

 前回までのあらすじ:シンガポールから北上してタイに入り、鉄道で中南部の街スラータニーに到着。駅から街に向かうバスの中で少年に声をかけられ、彼がスクーターで宿まで連れて行ってくれる。

 

 前回の投稿から一ヶ月以上もたってしまった。書いて人に見せるに値するようなことなど何一つなかったのではないかという気持ちになることがたまにあって、そのムードがいつもより少し長くつづいていた。大抵旅には非日常を求めているのだけれど、5日目くらいにもなると旅の日常というものが生まれてくる。移動し、宿を取り、飯を食い、寝る。時々言葉の通じにくい人と少し会話をする。それが毎日地図上の違う座標点で行われるというだけで、それは日付だけが違う学校生活の日常と構造的には同じなのではないか。
 けれども日が暮れたタイの地方の小さな街を、スクーターの後ろで少年の背中に捕まってゆっくり走り抜けて、目当てのゲストハウスにたどり着いたその瞬間に関しては、そういったやけっぱちな考えはきれいに振り落とされていて、清潔で設備が整って、電飾の趣味の良さが際立つ今晩の宿に、これは期待できそうだと快活な気分だった。ぼったくりタクシーの潜在的リスクから救い出して宿まで案内してくれたお人好しの現地の少年に、唯一わかるタイ語でありがとうと言い、インスタグラムとフェイスブックのアカウントを交換してから別れた。彼は最近徴兵されて軍服丸坊主姿になっている。スラータニーの宿は清潔でシャワーから温水が出て、洗濯機が使える。同世代か少し上くらいのオーナーは限りなく親切だった。

 宿の周囲に飲食店はほとんどなく、あったとしてもすでに店じまい後だったけれど、10分ほど歩くと地元のマーケットがあった。地元の人が食材や雑貨を買う場所で、エビ、アジっぽい魚、人参や芋や砂糖菓子といったものが大量に売っていて、観光客が食べられるような出来合いのものはあまりなかったけれど、奥の方に串焼きのようなものを見つけて晩飯にした。店番のおばちゃんはめちゃくちゃ気さくだった。隣にドラッグストアがあって、そこで水のボトルを買った。

 ゲストハウスに俺以外に宿泊客はいなかった。すくなくともロビーに出入りしていたのは俺とスタッフだけだった。スラータニーは本当にタイの片田舎の小さな地方都市だった。その外れにあるゲストハウスの周りには、本当に何もなかった。道の向こう側に1つだけ(2つだったかもしれない)家があり、道を通る車から見えるように広告が掲げられていた。車か何かの広告だったように思うが、定かではない。両隣は空き地や農地ではなかったはずだけれど、何があったのか全く思い出せない。あえて外出しようとも思わなかった。しばらくしてオーナーの旦那が帰ってきて、高そうな車を洗車してからゲストハウスに隣接した家に入っていった。オーナー夫妻はずいぶん裕福そうだった。儲けている、というよりかは恵まれた人たち、といった様子だったが、本当のところは全くわからない。どちらにせよ、このゲストハウスだけが周囲から浮いて洗練されていた。電飾と室内の明かりは、街灯もまばらな町外れの道路沿いにあって煌々と輝いていた。
 誰もいないロビーでは小さめのテレビがあって、MTVのドラマがかかっていた。西海岸の女の子が人魚と友情を育むというドラマ。まだ先学期のエッセイレポートが終わっていなかった。〆切は翌々日に迫っていた。電源Wi-Fi環境は整っていた。テーマには観光公害を選んでいた。旅先で観光公害を論じるのは痛烈な皮肉だった。「地域に根ざした観光のあり方が必要である」と書きながら、スラータニーの街をじっくり観光する気はあまりなかった。明日にはリゾートアイランドであるサムイ島へ移動する予定だった。そんなことを考えながら”middle of nowhere”といった趣のロビーにひとり居ると、さっきまでの一人旅の感慨はいつの間にか薄れていた。作業をする上では、場所は電源規格とWi-Fiの強さと椅子の硬さと以上の意味はあまりない。しかしながらこんなところまで学校の課題を持ち込んできた自分が圧倒的に悪いのでそれをとやかく言う資格は全くなかった。
 

10.緑の土地

  普通列車の硬い木製シートに座っていた4時間、窓の外に見えていた景色はほとんど一種類だけだった。低木が密に生い茂る緑の大地と雲ひとつない空。時折、線路脇で牛が草を食んでいる。遠景に山並みが見える時もあり、見えない時もあった。20分に一度くらいの間隔でバス停よりもさらに簡素な停車場に止まる。そのトタン小屋を2つくらい過ぎるとやっとホームのある駅に着き、車内販売の地元のおばさんが乗ったり降りたりして、またトタン小屋を一つずつ攻略していく。ホームのある駅には納屋くらいの大きさの駅舎があって、必ずタイ国王の肖像画が額縁に入って飾られている。その中で軍服を着た駅員が大時代なポイント切り替えレバーを操作すると、列車はまた緑の大地へと繰り出す。

  車内ではありとあらゆるものが売っていた。ハジャイで買ったような弁当もあれば、なんなのかよくわからない菓子や、セロリと小松菜を足して2で割ったような野菜、果てには日本の味のりまであった。包装に日本語であじのりと書いてあったから間違いない。子供がおやつ代わりに食べるらしい。

  ハジャイの駅から乗っていた現地の人と、Google翻訳を使ってぽつぽつと噛み合わない話をしていたが、彼女は2時間ほど行ったところで降りていった。そこは4時間の行程の中で唯一、まともに人が住んでいそうな街だった。

  天気は快晴だった。窓を全開にして永遠に続く緑を眺め続けるのは爽快な気分だった。その爽快な気分はたっぷり4時間、持続していた。尻が痛くなるのさえも全く気にならなかった。時折の話し相手になってくれていたタイ人が降りた頃から、この緑の中にある差に気づくようになっていた。湿地帯と低木密林の緑、インディカ米の田園の緑、ゴムプランテーションの緑… トンネルに入って初めて、この客車には電灯が1つも付いていなかったことに気づいた。

  スラータニーに着いた時はもう日が沈んだあとだった。駅員に聞くと、街に出るバスは今まさに出るところだという。慌てて走り出て、手を振りながらバスに乗り込む。タイとマレーシアの最大の差はバスの車体だと思った。タイのバスはけばけばしい色に塗り分けられていて、メタル部分は必要以上に光沢がある。中には国王の絵に並んで、けったいな神様の絵がプリントアウトされたまんまに貼り付けられていた。

  グーグルマップと睨めっこしながらバスに乗っていると、(正しいバスに乗っている確証がどうしても持たなかった)隣に座った少年が次の停留所で降りろ、と書かれたスマホの画面を見せてきた。よくわからないけれども旅は道連れ、詐欺にしても手が込みすぎているので、従って降りる。話してみると、このままではきっと俺がぼったくられると心配し、家族のバイクで宿まで送ってくれるという。なんとありがたい。しかも今までの中で最も安全運転なニケツだった。