少し前に見た映画

 少し、と言っても1年以上前に見た映画のことを思い出すことがあった。映画はドライブマイカー。思い出したきっかけはアメリカの女子大での村上春樹の様子を綴ったnoteを見かけたこと。NUSで原広司を見た時の気持ちを思い出した。(原広司は素敵だし、かと言ってあのnoteも別に春樹を批判してる訳でもない。予想してたのとは違う気持ちになった、ということ)

 村上春樹安藤忠雄みたいなもので、実際のところは誰よりも影響受けてるくせに、「好きな建築家は忠雄」というのはちょっと気が引けるという存在。なんだかんだ言いながら村上春樹の本は九割方読んでいるので、ドライブマイカーの原作たちも既読であった。原作の短編集「女のいない男たち」はヘミングウェイの「男だけの世界(men without women)」をちょっと意識してて、(ヘミングウェイのマッチョな世界観に対して)女性の喪失に際した男の姿を描いた、みたいなことがあとがきに書いたあった(気がする)。同じ短編集の別の作品に「傷つくべき時に正しく傷つくべきだったのだ云々」という一節があり、それが映画のテーマのメッセージのような扱われ方をしていた。

 映画はいつどこで見たか定かでない。梅田スカイビルのシネ・リーブルでだった気がする。同居を始める前はよく仕事終わりにシネ・リーブルに通っていた。スカイビルは梅田から離れていて人通りも少ない。高速バス乗り場、終業後の奇抜なオフィスビル、客の少ない映画館、なかなか趣深いコンボだった気がする。

 小説も映画もうろ覚えだけれど、両者はかなり雰囲気が違った。けれど見終わった直後は三浦透子の空気感良かったな、とか広島のゴミ処理場かっこいいな、とかを考えていた。何が違うか思い当たったのは鑑賞後しばらく日が経ってからで、それは映画には風景が映っているということだった。村上春樹の原作、とくに「ドライブマイカー」は、車内の描写がほとんど。ギアチェンジとかが細かく描写されるうちに回想に入る、という具合で、車に乗っているのに今どこにいるかも殆ど描かれないし、目的地とか、あるいは「ここで無い場所へ行く」みたいなロマンは排除されている。

 映画で、濱口監督は敢えて「移動」を映していると思う。(主人公が普段住む東京ではなく)広島を舞台にして、瀬戸内の島に投宿させ、クライマックスでは北海道まで旅することで主人公は自らの傷を受け入れる。それぞれの場所に地名とアイコニックな風景があり、常にある場所から違う場所への移動が映されている。晴れた海沿いの道があり、吹雪の夜の高速がある。村上春樹は「場所」や「移動」に全く興味がなかったところ、それをロードムービーに仕立てたところに濱口監督のすごさがあると感じた。ロードムービーでは移動することでストーリーが生まれ、物事が起きて感情が動くのだから。

 村上春樹はたぶん「距離とかにはあんまり期待しない方がいいぜ(海辺のカフカだけど、うろ覚え)」という考えの持ち主で、井戸に潜るのが得意技の人だ。そう考えると、映画「ドライブマイカー」は村上春樹の哲学に真っ向から異論を突き付けているように見える。しらんけど。