2025年の振り返り
去年の正月にも何かしらの目標なり抱負なりがあったはずだと思うんやけど、ブログにもTwitterにもメモアプリにも残ってない。書いた記憶はおととしなのか、それともInstagramのストーリーにでも上げてたのか。(抱負を記録するには不適すぎる!)
1月(思い出せる範囲、以下同じ)
DIYでランプを製作。反省点は多いがなんとか形になった。しかし欲しい家具は一通り揃ってしまったのでもう作るものがない。
城崎に旅行。ついでにレンタカーで伊根の舟屋まで足を伸ばす。思いのほか遠かった上に雪道で、帰りの特急を一本逃した。
2月
よく前を通っていた国会図書館関西館に初めて入る。こういうミース的な美しいモダニズムと、ただ金があるだけのオフィスビルとの境目ってどこにあるんだろうか。地下の閲覧室はとても心地良かったけど、Wi-Fiが通じずすぐに退散。
3月
課長がやたら思い出出張をセットしてくれる。この時はありがた迷惑と思ってたけど、国交省来たら2ヶ月しないうちに十分バランスが取れた。
4月
東京生活スタート。久しぶりに会う人たちに会えて良かった。仕事の愚痴は言うまい。
5月
新たな職場同期と邦楽のフェスとか、テントサウナとかに行く。どっちも元々あんま興味なくて、行かんでもいいな…でも断るほどでもないな…のテンションやったけど行ってみると意外と楽しいもんで、ちゃうタイプのコミュニティの人に連れ回されると世界が広がっていい。あと万博も行った。
6月
職場の長期研修。薄々感じてたけどリサーチ→提案みたいなタスクが得意かもしれない。俺ってコンサル向き?まさか。
憧れのCoryWong神を見れて感動した。
7月
早々に一級建築士試験を諦めてフジロックのチケットを買っていた。妻に23時頃のHaimまで付き合わせてしまったが森山直太朗みれて満足そうだったのでセーフ。直太朗、歌うますぎる。VampireWeekend、StopMakingSenseを思わせるようなスタイリッシュさがあり、本当にかっこよかった。
8月
『狂い咲きサンダーロード』を観る。2年のときの卒制の先輩が「今まで見た最高の映画」って言ってたけど、ほんまによくて、はじめて2回映画館行った。夜にバイクで走るカットが全部ひたすらかっこよかった。
9月
夫婦で台北。俺は仕事終わりの深夜便で前乗りして下駄履き共同住宅を見学。店舗さえ開いてればめっちゃ良い空間やったけど結構空洞化してて、多少ましな坂出人工地って感じで、少し悲しい気持ちになった。生活の場としての建物が持続的である事は本当に難しい。
10月
失効ぎりぎりで、無事に免許を更新。
学部同期と芋煮会。初めてモルックしたけど面白かった。
11月
初サーフィンしようとしたけど寒すぎて断念。そらそう、夏にしろや。
隣の机の人が旧街道を歩くの趣味にしてると言ってて、いいなと思って、週末に試しに横浜から横須賀まで歩いてみた。余裕があれば葉山くらいまでとか思ってたけど靴擦れが痛すぎて断念。たまたま横須賀美術館では理顕展をやってたし、たまたま横須賀の街ではジャズフェスティバルをやってて、結果かなり楽しかった。
レンタカーを借りて1人でほったらかし温泉。帰りしに大月の猿橋に寄る。むかし何かの授業で調べた刎橋って珍しい構造で、こんな所にあるとは知らなかった。
12月
忘年会めっちゃあった。職場の什器が一新されてちょっとだけ働きやすくなった。
やる気が持続すればあとで写真も貼ろうと思う
2026年の抱負
来年度は単身赴任で東京ね、と言われ始まった2025年、クリスマスイブに高熱出してほうほうの体で帰阪、やっと体調が戻る頃には3が日も終わり、今年が9連休で心から良かったと思っている。
暇って訳じゃないけどなんか退屈やな〜みたいな休日も増えてきた気がするので、今年やりたい事を書いとく。書かんと忘れるし。たぶん書いても忘れるし書いた事もすぐ忘れるんだろうけど。
①一級📏(そろそろちゃんと取りたい。)
②ギター習う🎸(ここ数年、我流で練習していたけどさっぱり上達しない。やはりちゃんとお金払って習ってみたい。)
③写真への情熱を取り戻す📷(カメラは意外と重いしな〜に気持ちが負けるようになった最近。とくにデジイチ買ってからその傾向。定期的にフィルムも撮るようにしたい。)
④インドネシア語🇮🇩(気まぐれで始めたDuolingoが思いのほか続いてる。インドネシアに行く予定も喋る相手もいないけど、喋れるようになってから考えよう。インドネシア語をマスターした後はスペイン語をもっぺんやりたい。)
⑤フラッグフットボール🏈(アメフトをやりたい気持ちがずっとあり、でもさすがにこの体力と体型では無理がある…と思い続けてきたが、フラッグフットならできるやん!という天才的な閃き。なぜ今まで気づかなかったのか。大阪にも社会人チームがあるらしい。)
⑥ジムに通う(そろそろいい歳やからちゃんとお金はらってジム通いした方がいいかも。トレーニングという面では自重とラントレで十分なんやけど、なにせ続かない。月々いくらも払ってる、という貧乏根性でもってしか継続できないんやわ、これは。)
⑦旅行は瀬戸内、音楽はRB、本は推理小説を深掘りたい。DIYしなあかん家具はもうないかな。来冬はロングコート新調したい。Twitterやショート動画見るのは多分やめれへんから、せめてROM専じゃなくてなんかポストしたい。休日は早く起きる。(せめて午前中。)
■
京都駅のビックカメラの手前に、道路から直角方向に登る階段がある。3-4階分の高さを一度も曲がらずにまっすぐ登る、無機質と言うほどでは無いけどどちらかと言えば素っ気ないコンクリートの階段だった。中3の冬に通っていた駅前の塾でたまに授業の間が30分ほどあく事があって、ファミマに行く金のない時は、身体が鈍るとあかんと思って、まだ今ほど多くなかった観光客のあいだを縫ってその階段まで走ったりしていた。階段を登り切ったところは駅ビルの裏側で、線路が見下ろせる幅が10m以上ある巨大なバルコニーのような場所になっていて、それが反対の端の階段までずっと続いていて、駅ビルを一周できるようになっている。真ん中あたりまでくると横手に一段下がった広場のがあり、中央改札の谷間と両側へそびえるエスカレーターが一望できて、そこへ出ると急にいろんな声とか物音が大空間に反響して、クリスマスツリーとかも見えたりして、ここ京都駅やったな、と思い出す。端っこの方は本当に誰もいなかったからインターバル走とかもできるくらいだった。
京都駅ビルは、おおらかな空間で、いつどんな状況で使っても自分のための空間があると思える建築だ。終電の新幹線からタクシー乗り場に行く道の柱の石貼りのライトアップがきれいとか、特急の来るホームは天井が高くて西洋の停車場の雰囲気があるとか、京都タワーとおんなじくらい景色いい通路があるとか、そういうのが無限にあって、それが「小ネタ」じゃなく建築全体の自然な帰結としてそうなってるように感じられたし、何より京都駅でラントレできるという驚きは自分の建築の原体験だった。

2月16日
2月16日、仕事で四国の地方都市に来ている。先輩にくっついて来た出張だから緊張感は皆無だ。YouTubeに時間を溶かしていると喉が渇いてきたので、自販機を探して夜のまちを散歩する。黒潮のお陰か、思ったほど冷えない。用水路の音だけが聞こえるような静かな田舎町だ。
バスが着いた道の駅までの道中に、自販機は1台もなかった。道の駅には大型トラック10台ほどの重低音が響いている。暖房のためにエンジンを切らないのだろう。トラックは丸太を満載していた。ここは林業の土地らしい。駐車場も丸太もトラックも、都会では見ないスケールの大きさだ。自動販売機は駐車場の隅に、半分草に埋もれていた。宣伝用の電光掲示板にはなぜか東南アジアのニュース速報が流れている。
* *
むかし、林業トラックに乗せてもらったことがある。ヒッチハイクしていた時、アブラヤシプランテーションの真ん中でのことだ。鬱蒼としたヤシの林を突っ切る一本道に現れたガソリンスタンドで、前触れなく車を降ろされた。ヒッチハイカーに文句を言う権利は無いから、「ここでいいだろ?」と言われれば降りるしかない。しかしそれにしても、もう少し良い場所があるのではないか。どのみち真っ直ぐ進むしかない道なのに、彼はその後どこへ行ったのだろう?(なんか、機嫌を損ねる事でも言った?)
仕方ないからその後たっぷり2時間は、必死で親指を立てたり、手を振ったり、道路のこちらに立ったりあちらに立ったりしていた。だがそもそも車が滅多に通らない。かろうじて幾つかある店舗らしき建物も、全てが閉業していた。広大なプランテーションのど真ん中で、全世界から忘れ去られたような場所だった。曇っていても気温は高く、車が通るたびに砂っぽい路面から体に悪そうな煙が立った。驚いたことに、こんな場所にも地元のヤンキーはいた。彼らはしばらくの間やたらうるさい改造スクーターでぐるぐる回っていたが、それも15分くらいで、気付いた時にはいつの間にかどこかへ消えていた。「どこでもない場所」がどこかにあるとしたら、このガソリンスタンドがそうだろうな、とか思った。シェル石油Nowhere店へようこそ。
捨てる神あれば拾う神あり、止まってくれたのは、切り出したばかりの丸太を山積したトラックだった。全面がオレンジに塗られたそのトラックは他のどの車と比べても格段に大きかった。高い運転席には蛍光色の現場用ベストを着たおじさんが座っていた。きっとヒッチハイクが何なのかも知らず、ただ純粋に困っている人を助けてくれたのだろう。「クアンタンまで行きたい」が私の唯一の語彙で、相手の言葉はひとつもわからなかった。おじさんが更なる奥地へハンドルを切ったところで慌てて止めて貰うまで、車内にはなんとなく気まずい沈黙が流れていたような記憶がある。
降りた場所はさっきよりも更に奥地のガソリンスタンドだった。山奥にガソスタつくるん流行ってるんだろうか?もう午後も大分遅い時間になってきて、今度こそプランテーションで野宿せなあかんのか、と覚悟しはじめたけれど、以外とすぐに次の車が止まってくれた。フロントガラスがしたたかに割れていてまた不安になったけれど、陽気なファミリーがちゃんとクアンタンの街まで連れて行ってくれた。

* *
先輩に誘われて、僅かに開いている居酒屋に飲みに行った。行きしなにさっきの道の駅を通りかかった時、「ぼく、昔これ乗ったことあるんすよ」と言いかけたけど、オチもないし、どう話したら良いかも分からなかったから結局やめて、ブログに書くことにした。

少し前に見た映画
少し、と言っても1年以上前に見た映画のことを思い出すことがあった。映画はドライブマイカー。思い出したきっかけはアメリカの女子大での村上春樹の様子を綴ったnoteを見かけたこと。NUSで原広司を見た時の気持ちを思い出した。(原広司は素敵だし、かと言ってあのnoteも別に春樹を批判してる訳でもない。予想してたのとは違う気持ちになった、ということ)
村上春樹は安藤忠雄みたいなもので、実際のところは誰よりも影響受けてるくせに、「好きな建築家は忠雄」というのはちょっと気が引けるという存在。なんだかんだ言いながら村上春樹の本は九割方読んでいるので、ドライブマイカーの原作たちも既読であった。原作の短編集「女のいない男たち」はヘミングウェイの「男だけの世界(men without women)」をちょっと意識してて、(ヘミングウェイのマッチョな世界観に対して)女性の喪失に際した男の姿を描いた、みたいなことがあとがきに書いたあった(気がする)。同じ短編集の別の作品に「傷つくべき時に正しく傷つくべきだったのだ云々」という一節があり、それが映画のテーマのメッセージのような扱われ方をしていた。
映画はいつどこで見たか定かでない。梅田スカイビルのシネ・リーブルでだった気がする。同居を始める前はよく仕事終わりにシネ・リーブルに通っていた。スカイビルは梅田から離れていて人通りも少ない。高速バス乗り場、終業後の奇抜なオフィスビル、客の少ない映画館、なかなか趣深いコンボだった気がする。
小説も映画もうろ覚えだけれど、両者はかなり雰囲気が違った。けれど見終わった直後は三浦透子の空気感良かったな、とか広島のゴミ処理場かっこいいな、とかを考えていた。何が違うか思い当たったのは鑑賞後しばらく日が経ってからで、それは映画には風景が映っているということだった。村上春樹の原作、とくに「ドライブマイカー」は、車内の描写がほとんど。ギアチェンジとかが細かく描写されるうちに回想に入る、という具合で、車に乗っているのに今どこにいるかも殆ど描かれないし、目的地とか、あるいは「ここで無い場所へ行く」みたいなロマンは排除されている。
映画で、濱口監督は敢えて「移動」を映していると思う。(主人公が普段住む東京ではなく)広島を舞台にして、瀬戸内の島に投宿させ、クライマックスでは北海道まで旅することで主人公は自らの傷を受け入れる。それぞれの場所に地名とアイコニックな風景があり、常にある場所から違う場所への移動が映されている。晴れた海沿いの道があり、吹雪の夜の高速がある。村上春樹は「場所」や「移動」に全く興味がなかったところ、それをロードムービーに仕立てたところに濱口監督のすごさがあると感じた。ロードムービーでは移動することでストーリーが生まれ、物事が起きて感情が動くのだから。
村上春樹はたぶん「距離とかにはあんまり期待しない方がいいぜ(海辺のカフカだけど、うろ覚え)」という考えの持ち主で、井戸に潜るのが得意技の人だ。そう考えると、映画「ドライブマイカー」は村上春樹の哲学に真っ向から異論を突き付けているように見える。しらんけど。
ブルシット・アフター・ファイブ
7月6日 年度はじめに部署異動があってからだいぶ暇。勤務中でもだいぶ暇。左遷されたかなと思うくらい。なんとか捻り出した仕事も単純な事務処理ばかり。典型的なブルシットジョブ!
定時に上がれるから、試合開始から野球中継を観れる。野球は真剣に見てしまうと進行がゆっくりで退屈。片手間に見てお、勝ってるやん、とか言くらいがちょうどいいんやね。昔バイトしてた居酒屋ではいつもソフトバンクの中継が映ってて、時間が早いうちはひまやったから板前と一緒に見てた。アパートから徒歩1分の場所にあって給料は現金を封筒に入れて渡してくれた。
居酒屋になる前は洋食屋をやってたらしい。アスパラの肉巻きとか、ほうれん草チーズとか、マグロカツとかが上手い板前だった。痩せていて暇な時は厨房でタバコを吸っていた。彼の横で一年間。天ぷらばかり揚げていた。
コロナで潰れたんじゃないかと思って心配していたが、10ヶ月前のストリートビューにちゃんと売ってて安心した。裏にあった怪しいタイ式マッサージの店も、さらに怪しい全然客のいなかった飲み屋も全然平気で残っていて拍子抜けした。鳥貴族だけ潰れてた。世の中はわからないものやね。
でもあれやんな、もう社会人やねんな
でもあれやんな、って言いますよね、って言われて、口癖発見大会が始まった。関係ないんですけど、って言うよね、あいつ、最初絶対、あのわたし、って言うな。俺はなんて言ってるやろ。話始めの一語は注目を惹くためにあるので意味はあまりなくて、何を言ってもいいという結論が出た。意味の少ないしるしみたいな言葉なのに、わりと人それぞれなのが、思考回路が現れているみたいでおもしろい。
アカウントを持っているSNSをフル活用して自分の配属先を宣伝した。そうでもしないといつのまにか消えた人みたいになると思った。そういう連絡はなんかわざとらしい気がしてあまり昔から好きでは無かったけれど、社会人は好き嫌いに関わらずいろんなことをするもんだという考えがある。目の前にいない人への想像力が乏しいのか、一度会わなくなった人とは急に疎遠になることが多かったし、久しぶり!っていう連絡は柄に合わないような気がしていて年賀状なんかもろくに送ってこなかったけれど、覚えていたいし覚えられていたいのは誰しもでしょう。常識や儀礼にはそういう柄に合わなさみたいなものを無視して進める強さがあって、社会人の堅苦しさもわるくない。一挙手一投足がすべて属人的だとしんどいんやなと今更ながら気づく。堅苦しさって、意外と便利な鎧なんすねー、重いばっかだとおもってましたけど。
「人生なめたらあかん」と太マッキーで書かれたハガキが家の柱に貼ってある。一級建築士試験をさぼった同居人が受験票に書いて戒めにしていたもので、私が出願手続に失敗したのをききたつけて、くれた。人生なめたらあかんあげますよ、たしかに今年はおれやなあ、一年間もらっとくわ。これまでわたしの戒めだったものは、卒業制作の時に後輩に作らせてそのまま没にした模型で、本棚やベッド脇に飾ってあったけれど、最近は思い出やなあくらいに薄れてしまっていた。喉元過ぎどころかもう小腸くらいにまで達していて、ほかのなんやかんやの経験と一緒に消化されつくしている。座右の戒、人生なめたらあかん、です。
でもあれやんな、気づけば建築設計からどんどん離れていくよな、昔はアトリエ所員になると信じて疑わなかったのに。好きか嫌いかでいうと設計課題はかなり好きだったけど、それは考えることがいくらでもあるからだった気がする。調べたり纏めたりではなく、純粋に考えることができて、しかも何を考えても良かったあたりとか。いつも、模型制作やパース描きといった、考えを形にする作業はあんまり気が進まなかったので、建築設計が好きかどうかとは別の話なんだろう。まあ全く設計しないと決まったわけでもないし。
通勤時間があるので本を読んでいる。もちろんゲームもしてるけど本も読んでる。文芸賞芥川賞コンビの改良とかか、あと紀伊國屋の一階でジャケ買いしたナイジェリア→アメリカ移民の人の短編集、これはまだ途中。遠野さん、話を広げて畳むのの周到さとダイナミックさ。変な揺れ方するなと思ってた午後のローカル線がいつのまにか都心を走ってて満員、終電、人身事故。宇佐見さん、言葉の一音々々の力が強烈、普段喋ったり書いたりしているのと同じ言語だと思えない。同じくらいの長さの短い小説だけれど、かかは読むのに倍くらい時間がかかる。
大阪に行きます。でもあれやんな、大阪、いちばんわからんよな、イメージに経験が追いついてない。東京に住んでても京都に住んでても、大阪に行く用事なんてほとんどないからな。関西のひとの東京に対抗心燃やすっていうおきまりのやつはもちろんあるけれど、七年で東京のことはとても好きになった。もともと人の多いところが好きだったし、まとまりがないかんじとか、無駄に頑張ってる感じとか。文藝で柴崎友香さんと岸政彦さんの大阪っていう連載があって好きで読んでたけど、東京についてなら結構書けるかもしれない。
日記
ガルシアマルケスの百年の孤独を読んだ。1年ほど前に学部の頃からの友達に借りて、そのまま熟成させてあったやつ。いい小説なことはわかり切っていたけれど、分厚い本はいつも大抵集中力が続かないから、これも3ページほど読んだところで一旦寝かせてあったのだけれど、ここ数日無益な昼夜逆転生活が続いてたから、だったら本でも読もうと、再チャレンジした。読み始めると止まらない性格なので、2日間くらいはデニーズに一晩中居座ってひたすら読んでいた。デニーズのドリンクバーは酷かった。唯一ましなのは水と炭酸水だけだったから、ずっと水ばかり飲んでいた。
ここ数年読んだ本の中でいちばん好きだった気がする。幽霊とか神秘とか予言とかが昼ご飯の料理とかと同じカジュアルさで出てくる世界観、記述がずっと淡々としていて、三人称視点だけれども隣の家の三階から見下ろしている程度の近さで、表現とかがちょっとだけ引っかかるから割とゆっくりなペースで読めた。(これは翻訳者がすごいのかもしれない)そのおかげで、友達から頼まれていた仕事がちょっと催促される程度には遅れたけれど。
12.レポートをする日
かなり久しぶりに旅行記の続きです。この旅から着々と時間は進んですでに1年前になろうとしていることに少し焦っている。最近は焦りが唯一の原動力だ。
時間ぎりぎりに起きてサービスの朝食を食べる。今日はこの街の沖合1時間ほどのところにあるリゾートアイランドへ移動する。元々数日この街にいるつもりだったけれど、あまりに何もなさそうだったし、それにそんなに日程に余裕があるわけでもない。
宿で出してくれるらしい車を待つ間、シンガポールから連れてきたレポートに取り掛かる。少し焦ってくる。いつだって焦りが原動力。思ったより筆が進まない。だいたいの骨を決めておき、それを肉付けすれば大体このくらいの字数になるだろうと目論むのだけれど、いざ書き出してみると骨以外に書くことが見当たらない。そうして骨と皮の間に苦し紛れの水膨れが醜くふくれている不格好な文章が書き上がる。
そうしているうちに宿で出してくれたバンがくる。日本の地方都市にもよくあるバス停と観光協会が一緒になったような建物でバスに乗り換えて、小一時間揺られて寂れた港に着く。寂れたというより何もないという方が近い。空は曇っていて、時折軽く雨がぱらついている。こういう天気の日は海を眺めていてもすぐに飽きてしまって、船酔しないように気をつけながらまたレポートの続きをする。旅と日常の悪いとこどり。
島の船着場についた途端、東南アジアおなじみのスコールにやられて、雨季だったことを思い出す。トリップアドバイザーで勧められていた乗合タクシーは一台もおらず、船の乗客たちにはみんな宿から迎えが来ていた。そうこうしているうちにすっかり日も暮れる。次の船が着くまで30分ほど待ってチャーターバスに乗せてもらい、島の反対側のゲストハウスまで行く。
宿で紹介された街のフードコートは、島の中で一番割高だったことに後で気付く。何もかもがリゾート価格なので、コンビニで食パンとミネラルウォーターを買うけれど、リゾート地だから一層みじめな気分になる。通り沿いはバーやレストランの看板が明るくて、お高いテラス席はちゃんとしたテーブルクロスがかかっていて、ここ数日で一番心安らぐ風景だったけれども今日は素通りしてゲストハウスのロビーのワイファイでレポートをするしなかい。

