2月16日

2月16日、仕事で四国の地方都市に来ている。先輩にくっついて来た出張だから緊張感は皆無だ。YouTubeに時間を溶かしていると喉が渇いてきたので、自販機を探して夜のまちを散歩する。黒潮のお陰か、思ったほど冷えない。用水路の音だけが聞こえるような静かな田舎町だ。
 バスが着いた道の駅までの道中に、自販機は1台もなかった。道の駅には大型トラック10台ほどの重低音が響いている。暖房のためにエンジンを切らないのだろう。トラックは丸太を満載していた。ここは林業の土地らしい。駐車場も丸太もトラックも、都会では見ないスケールの大きさだ。自動販売機は駐車場の隅に、半分草に埋もれていた。宣伝用の電光掲示板にはなぜか東南アジアのニュース速報が流れている。
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 むかし、林業トラックに乗せてもらったことがある。ヒッチハイクしていた時、アブラヤシプランテーションの真ん中でのことだ。鬱蒼としたヤシの林を突っ切る一本道に現れたガソリンスタンドで、前触れなく車を降ろされた。ヒッチハイカーに文句を言う権利は無いから、「ここでいいだろ?」と言われれば降りるしかない。しかしそれにしても、もう少し良い場所があるのではないか。どのみち真っ直ぐ進むしかない道なのに、彼はその後どこへ行ったのだろう?(なんか、機嫌を損ねる事でも言った?)
 仕方ないからその後たっぷり2時間は、必死で親指を立てたり、手を振ったり、道路のこちらに立ったりあちらに立ったりしていた。だがそもそも車が滅多に通らない。かろうじて幾つかある店舗らしき建物も、全てが閉業していた。広大なプランテーションのど真ん中で、全世界から忘れ去られたような場所だった。曇っていても気温は高く、車が通るたびに砂っぽい路面から体に悪そうな煙が立った。驚いたことに、こんな場所にも地元のヤンキーはいた。彼らはしばらくの間やたらうるさい改造スクーターでぐるぐる回っていたが、それも15分くらいで、気付いた時にはいつの間にかどこかへ消えていた。「どこでもない場所」がどこかにあるとしたら、このガソリンスタンドがそうだろうな、とか思った。シェル石油Nowhere店へようこそ。f:id:mixologist2828:20240325000119j:image

 捨てる神あれば拾う神あり、止まってくれたのは、切り出したばかりの丸太を山積したトラックだった。全面がオレンジに塗られたそのトラックは他のどの車と比べても格段に大きかった。高い運転席には蛍光色の現場用ベストを着たおじさんが座っていた。きっとヒッチハイクが何なのかも知らず、ただ純粋に困っている人を助けてくれたのだろう。「クアンタンまで行きたい」が私の唯一の語彙で、相手の言葉はひとつもわからなかった。おじさんが更なる奥地へハンドルを切ったところで慌てて止めて貰うまで、車内にはなんとなく気まずい沈黙が流れていたような記憶がある。
 降りた場所はさっきよりも更に奥地のガソリンスタンドだった。山奥にガソスタつくるん流行ってるんだろうか?もう午後も大分遅い時間になってきて、今度こそプランテーションで野宿せなあかんのか、と覚悟しはじめたけれど、以外とすぐに次の車が止まってくれた。フロントガラスがしたたかに割れていてまた不安になったけれど、陽気なファミリーがちゃんとクアンタンの街まで連れて行ってくれた。

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 先輩に誘われて、僅かに開いている居酒屋に飲みに行った。行きしなにさっきの道の駅を通りかかった時、「ぼく、昔これ乗ったことあるんすよ」と言いかけたけど、オチもないし、どう話したら良いかも分からなかったから結局やめて、ブログに書くことにした。

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少し前に見た映画

 少し、と言っても1年以上前に見た映画のことを思い出すことがあった。映画はドライブマイカー。思い出したきっかけはアメリカの女子大での村上春樹の様子を綴ったnoteを見かけたこと。NUSで原広司を見た時の気持ちを思い出した。(原広司は素敵だし、かと言ってあのnoteも別に春樹を批判してる訳でもない。予想してたのとは違う気持ちになった、ということ)

 村上春樹安藤忠雄みたいなもので、実際のところは誰よりも影響受けてるくせに、「好きな建築家は忠雄」というのはちょっと気が引けるという存在。なんだかんだ言いながら村上春樹の本は九割方読んでいるので、ドライブマイカーの原作たちも既読であった。原作の短編集「女のいない男たち」はヘミングウェイの「男だけの世界(men without women)」をちょっと意識してて、(ヘミングウェイのマッチョな世界観に対して)女性の喪失に際した男の姿を描いた、みたいなことがあとがきに書いたあった(気がする)。同じ短編集の別の作品に「傷つくべき時に正しく傷つくべきだったのだ云々」という一節があり、それが映画のテーマのメッセージのような扱われ方をしていた。

 映画はいつどこで見たか定かでない。梅田スカイビルのシネ・リーブルでだった気がする。同居を始める前はよく仕事終わりにシネ・リーブルに通っていた。スカイビルは梅田から離れていて人通りも少ない。高速バス乗り場、終業後の奇抜なオフィスビル、客の少ない映画館、なかなか趣深いコンボだった気がする。

 小説も映画もうろ覚えだけれど、両者はかなり雰囲気が違った。けれど見終わった直後は三浦透子の空気感良かったな、とか広島のゴミ処理場かっこいいな、とかを考えていた。何が違うか思い当たったのは鑑賞後しばらく日が経ってからで、それは映画には風景が映っているということだった。村上春樹の原作、とくに「ドライブマイカー」は、車内の描写がほとんど。ギアチェンジとかが細かく描写されるうちに回想に入る、という具合で、車に乗っているのに今どこにいるかも殆ど描かれないし、目的地とか、あるいは「ここで無い場所へ行く」みたいなロマンは排除されている。

 映画で、濱口監督は敢えて「移動」を映していると思う。(主人公が普段住む東京ではなく)広島を舞台にして、瀬戸内の島に投宿させ、クライマックスでは北海道まで旅することで主人公は自らの傷を受け入れる。それぞれの場所に地名とアイコニックな風景があり、常にある場所から違う場所への移動が映されている。晴れた海沿いの道があり、吹雪の夜の高速がある。村上春樹は「場所」や「移動」に全く興味がなかったところ、それをロードムービーに仕立てたところに濱口監督のすごさがあると感じた。ロードムービーでは移動することでストーリーが生まれ、物事が起きて感情が動くのだから。

 村上春樹はたぶん「距離とかにはあんまり期待しない方がいいぜ(海辺のカフカだけど、うろ覚え)」という考えの持ち主で、井戸に潜るのが得意技の人だ。そう考えると、映画「ドライブマイカー」は村上春樹の哲学に真っ向から異論を突き付けているように見える。しらんけど。

 

 

 

 

ブルシット・アフター・ファイブ

7月6日 年度はじめに部署異動があってからだいぶ暇。勤務中でもだいぶ暇。左遷されたかなと思うくらい。なんとか捻り出した仕事も単純な事務処理ばかり。典型的なブルシットジョブ!

定時に上がれるから、試合開始から野球中継を観れる。野球は真剣に見てしまうと進行がゆっくりで退屈。片手間に見てお、勝ってるやん、とか言くらいがちょうどいいんやね。昔バイトしてた居酒屋ではいつもソフトバンクの中継が映ってて、時間が早いうちはひまやったから板前と一緒に見てた。アパートから徒歩1分の場所にあって給料は現金を封筒に入れて渡してくれた。

居酒屋になる前は洋食屋をやってたらしい。アスパラの肉巻きとか、ほうれん草チーズとか、マグロカツとかが上手い板前だった。痩せていて暇な時は厨房でタバコを吸っていた。彼の横で一年間。天ぷらばかり揚げていた。

コロナで潰れたんじゃないかと思って心配していたが、10ヶ月前のストリートビューにちゃんと売ってて安心した。裏にあった怪しいタイ式マッサージの店も、さらに怪しい全然客のいなかった飲み屋も全然平気で残っていて拍子抜けした。鳥貴族だけ潰れてた。世の中はわからないものやね。

 

 

でもあれやんな、もう社会人やねんな

でもあれやんな、って言いますよね、って言われて、口癖発見大会が始まった。関係ないんですけど、って言うよね、あいつ、最初絶対、あのわたし、って言うな。俺はなんて言ってるやろ。話始めの一語は注目を惹くためにあるので意味はあまりなくて、何を言ってもいいという結論が出た。意味の少ないしるしみたいな言葉なのに、わりと人それぞれなのが、思考回路が現れているみたいでおもしろい。

 

アカウントを持っているSNSをフル活用して自分の配属先を宣伝した。そうでもしないといつのまにか消えた人みたいになると思った。そういう連絡はなんかわざとらしい気がしてあまり昔から好きでは無かったけれど、社会人は好き嫌いに関わらずいろんなことをするもんだという考えがある。目の前にいない人への想像力が乏しいのか、一度会わなくなった人とは急に疎遠になることが多かったし、久しぶり!っていう連絡は柄に合わないような気がしていて年賀状なんかもろくに送ってこなかったけれど、覚えていたいし覚えられていたいのは誰しもでしょう。常識や儀礼にはそういう柄に合わなさみたいなものを無視して進める強さがあって、社会人の堅苦しさもわるくない。一挙手一投足がすべて属人的だとしんどいんやなと今更ながら気づく。堅苦しさって、意外と便利な鎧なんすねー、重いばっかだとおもってましたけど。

 

「人生なめたらあかん」と太マッキーで書かれたハガキが家の柱に貼ってある。一級建築士試験をさぼった同居人が受験票に書いて戒めにしていたもので、私が出願手続に失敗したのをききたつけて、くれた。人生なめたらあかんあげますよ、たしかに今年はおれやなあ、一年間もらっとくわ。これまでわたしの戒めだったものは、卒業制作の時に後輩に作らせてそのまま没にした模型で、本棚やベッド脇に飾ってあったけれど、最近は思い出やなあくらいに薄れてしまっていた。喉元過ぎどころかもう小腸くらいにまで達していて、ほかのなんやかんやの経験と一緒に消化されつくしている。座右の戒、人生なめたらあかん、です。

 

でもあれやんな、気づけば建築設計からどんどん離れていくよな、昔はアトリエ所員になると信じて疑わなかったのに。好きか嫌いかでいうと設計課題はかなり好きだったけど、それは考えることがいくらでもあるからだった気がする。調べたり纏めたりではなく、純粋に考えることができて、しかも何を考えても良かったあたりとか。いつも、模型制作やパース描きといった、考えを形にする作業はあんまり気が進まなかったので、建築設計が好きかどうかとは別の話なんだろう。まあ全く設計しないと決まったわけでもないし。

 

通勤時間があるので本を読んでいる。もちろんゲームもしてるけど本も読んでる。文芸賞芥川賞コンビの改良とかか、あと紀伊國屋の一階でジャケ買いしたナイジェリア→アメリカ移民の人の短編集、これはまだ途中。遠野さん、話を広げて畳むのの周到さとダイナミックさ。変な揺れ方するなと思ってた午後のローカル線がいつのまにか都心を走ってて満員、終電、人身事故。宇佐見さん、言葉の一音々々の力が強烈、普段喋ったり書いたりしているのと同じ言語だと思えない。同じくらいの長さの短い小説だけれど、かかは読むのに倍くらい時間がかかる。

 

大阪に行きます。でもあれやんな、大阪、いちばんわからんよな、イメージに経験が追いついてない。東京に住んでても京都に住んでても、大阪に行く用事なんてほとんどないからな。関西のひとの東京に対抗心燃やすっていうおきまりのやつはもちろんあるけれど、七年で東京のことはとても好きになった。もともと人の多いところが好きだったし、まとまりがないかんじとか、無駄に頑張ってる感じとか。文藝で柴崎友香さんと岸政彦さんの大阪っていう連載があって好きで読んでたけど、東京についてなら結構書けるかもしれない。

 

 

 

 

日記

ガルシアマルケス百年の孤独を読んだ。1年ほど前に学部の頃からの友達に借りて、そのまま熟成させてあったやつ。いい小説なことはわかり切っていたけれど、分厚い本はいつも大抵集中力が続かないから、これも3ページほど読んだところで一旦寝かせてあったのだけれど、ここ数日無益な昼夜逆転生活が続いてたから、だったら本でも読もうと、再チャレンジした。読み始めると止まらない性格なので、2日間くらいはデニーズに一晩中居座ってひたすら読んでいた。デニーズのドリンクバーは酷かった。唯一ましなのは水と炭酸水だけだったから、ずっと水ばかり飲んでいた。

ここ数年読んだ本の中でいちばん好きだった気がする。幽霊とか神秘とか予言とかが昼ご飯の料理とかと同じカジュアルさで出てくる世界観、記述がずっと淡々としていて、三人称視点だけれども隣の家の三階から見下ろしている程度の近さで、表現とかがちょっとだけ引っかかるから割とゆっくりなペースで読めた。(これは翻訳者がすごいのかもしれない)そのおかげで、友達から頼まれていた仕事がちょっと催促される程度には遅れたけれど。

 

12.レポートをする日

かなり久しぶりに旅行記の続きです。この旅から着々と時間は進んですでに1年前になろうとしていることに少し焦っている。最近は焦りが唯一の原動力だ。

11.地方の町 - 路上

 

時間ぎりぎりに起きてサービスの朝食を食べる。今日はこの街の沖合1時間ほどのところにあるリゾートアイランドへ移動する。元々数日この街にいるつもりだったけれど、あまりに何もなさそうだったし、それにそんなに日程に余裕があるわけでもない。

宿で出してくれるらしい車を待つ間、シンガポールから連れてきたレポートに取り掛かる。少し焦ってくる。いつだって焦りが原動力。思ったより筆が進まない。だいたいの骨を決めておき、それを肉付けすれば大体このくらいの字数になるだろうと目論むのだけれど、いざ書き出してみると骨以外に書くことが見当たらない。そうして骨と皮の間に苦し紛れの水膨れが醜くふくれている不格好な文章が書き上がる。

そうしているうちに宿で出してくれたバンがくる。日本の地方都市にもよくあるバス停と観光協会が一緒になったような建物でバスに乗り換えて、小一時間揺られて寂れた港に着く。寂れたというより何もないという方が近い。空は曇っていて、時折軽く雨がぱらついている。こういう天気の日は海を眺めていてもすぐに飽きてしまって、船酔しないように気をつけながらまたレポートの続きをする。旅と日常の悪いとこどり。

島の船着場についた途端、東南アジアおなじみのスコールにやられて、雨季だったことを思い出す。トリップアドバイザーで勧められていた乗合タクシーは一台もおらず、船の乗客たちにはみんな宿から迎えが来ていた。そうこうしているうちにすっかり日も暮れる。次の船が着くまで30分ほど待ってチャーターバスに乗せてもらい、島の反対側のゲストハウスまで行く。

宿で紹介された街のフードコートは、島の中で一番割高だったことに後で気付く。何もかもがリゾート価格なので、コンビニで食パンとミネラルウォーターを買うけれど、リゾート地だから一層みじめな気分になる。通り沿いはバーやレストランの看板が明るくて、お高いテラス席はちゃんとしたテーブルクロスがかかっていて、ここ数日で一番心安らぐ風景だったけれども今日は素通りしてゲストハウスのロビーのワイファイでレポートをするしなかい。

自分が何をしていたかわからなくなる

9月の頭にジャカルタに来たから、もうすでに2か月近くが経っている。修論の調査はあまり進んでいないけれど全くというわけでもなく、それなりに終えられそうな気もしていて、こういうのをぼちぼちです、というのだろう。

院に入ってからの2年間は基本的にずっと非日常と呼んでいい日々だったから、東南アジアのスラムに住んでいる間も「毎日これといったこともないな」というテンションで過ごしていたけれど、よくよく考えてみれば別にそんなことはなかった。10月が終わり部屋のホワイトボードのカレンダーを11月に書き換える段になって、割と色々あったやん、ということと、これこのままやと全部忘れていくところやったな、ということに気付いて、一通りあったことを思い出してグーグルカレンダーに書きとめるということをやった。

 

この2ヶ月、だんだん疲れていっている気がする。色んなことがあるけれど、いろんな事が起きても日常生活はなくならない、みたいなことに最近は絶望している。フォトジェニックな非日常よりもなくならない日常生活に時間もパワーも費やしているにしては、おれの日常生活からは快適さが欠けている。非日常のコンテンツは起承転結をつけて語られるまでは別に面白くもなんともないと気づかされる。きっとロビンソンクルーソーも小説を書き始めるまでは糞退屈でとるに足らない生活だったと思っていたに違いない。

 

寝過ぎて頭が痛い時は最悪。起きて何かをする気にもならないけれど寝れば寝るほど頭痛は増す。

 

少しづつ雨が増えている。別に涼しくもならないし日が短くもならないのだが。日本はもう寒くなっているらしい。そう聞くとふわふわした冬物の服を着たい気持ちになる。実際に日本に帰ればやっぱり暖かい場所に行きたいとか思うはずだけれど。学部時代の部屋は寒すぎてベッドから降りれず、やっぱり頭痛がするまで寝ていたから、世界中どこへ行ってもおれはそういう人間なんだろう。

日常II

 

 連絡を一つ入れるのにはてしなく気力がいるときがある。そういう時はたいていほかにいくつも上手くいかないことが起きて結局一日中何もできないまま過ぎていく。一昨日はそういう日で、何よりもまずこのタスクを片付けなければと思っているから他のことにも全く手がつかない。そうやって無為に時間を過ごしていることにテンションが下がり、さらにモチベがなくなる。

 スピッツがストリーミングに出ているのを思い出した。これまではユーチューブで聞いていたけれど、音楽はアルバム単位で聞くほうが好きだし、それに大したヘッドフォンでも無いけれどもベースとかドラムとかギターのリフとかひとつひとつの音がちゃんと聞こえるようになって、スピッツの偉大さに今更ながら気づく。A'メロで装飾的につく高め音域のクリーンなギターリフみたいなポップさが好き。スピッツのポップさって、同意を求めるようなしつこさがなくて、奇をてらう訳ではないけれど超然としている。スピッツよ曲はバンドと音楽だけで完成していて、たとえばライブで観客が一人もいなくても同じようにエモいんだろうなと思う。

 そんなことを考えていると、さすがに起き出して何かしようという気になる。しばらくはモチベのためにスピッツを聴くことになるかもしれない。

 椅子が固い。骨盤の一番下の部分を紙やすりにかけられているようで、体全体が疲労してくる。尻の痛みはとくに肩と下顎に伝染してくるみたい。気分転換に注文したソーセージ丼が果てしなく辛くてしばらく涙が止まらない。ここでは辛そうなソースがレベル1からレベル100くらいまであって、その見た目の区別が全くつかない。最近は慣れてきていちいちこれは辛いのかとか聞かなくなったけれど、まだ時々不意打ちを食らう。

日常

空港トラムはついにマンガライまで延伸していた。マンガライはチキニの近くの巨大ターミナル駅で、ジャカルタのすべての線路はマンガライに通じている。ワークショップに来ていた鉄オタくんはフリー時間にマンガライへ電車を撮りに行っていた、そういう駅で、まだまだ規模は小さいけれど将来は新宿みたいになるよ、とインドネシア人の学生は言っていた。隣のホームはまだ階段を作っている最中だったけれど、ホームとにはすでに乗客がひしめいていた。彼らはいったいどうやってあそこまで来たのだろうか?

昔適当に打ったコンクリートを引っ剥がしてまた新しくコンクリートを打つというのがこの街の基本構造で、駅のホームでも街中でもそれは変わらない。だから空気はいつも土埃に満ちていて、ギャッツビーにでてくる灰色の町はさぞかしこんな感じだろうと思う。1週間ぶりの部屋にもしっかりと土埃は積もっていて、掃除するところまで含めて休暇。そうしていると久しぶりに雨が降ってきた。実に3ヶ月間一滴も降ってなかったのだ(とこれまたインドネシア人の学生が言っていた)。本格的な雨だった。30分ほどで止みかけてからまた1時間くらいしっかり降った。そろそろ雨季が始まるのかもしれない。次の日は空気が綺麗で、いつもは白と灰色の間みたいな色の空も、白と青の間くらいまでには晴れていた。ポンプの水も心なしか綺麗だった。

次の朝、洗濯へ行こうとして洗剤のボトルが消えていることに気づいた。ベランダへ出る開き戸は錠が壊れていて、たんすで抑えてあった。ベランダには猫の糞が干からびていた。洗濯場は昼間にはかなり暑くなる。この場所で快適に暮らすには朝早く起きるのが一番だけれど25年間貫き続けている夜型は一朝一夕には直らない。