11.地方の町

 

 前回までのあらすじ:シンガポールから北上してタイに入り、鉄道で中南部の街スラータニーに到着。駅から街に向かうバスの中で少年に声をかけられ、彼がスクーターで宿まで連れて行ってくれる。

 

 前回の投稿から一ヶ月以上もたってしまった。書いて人に見せるに値するようなことなど何一つなかったのではないかという気持ちになることがたまにあって、そのムードがいつもより少し長くつづいていた。大抵旅には非日常を求めているのだけれど、5日目くらいにもなると旅の日常というものが生まれてくる。移動し、宿を取り、飯を食い、寝る。時々言葉の通じにくい人と少し会話をする。それが毎日地図上の違う座標点で行われるというだけで、それは日付だけが違う学校生活の日常と構造的には同じなのではないか。
 けれども日が暮れたタイの地方の小さな街を、スクーターの後ろで少年の背中に捕まってゆっくり走り抜けて、目当てのゲストハウスにたどり着いたその瞬間に関しては、そういったやけっぱちな考えはきれいに振り落とされていて、清潔で設備が整って、電飾の趣味の良さが際立つ今晩の宿に、これは期待できそうだと快活な気分だった。ぼったくりタクシーの潜在的リスクから救い出して宿まで案内してくれたお人好しの現地の少年に、唯一わかるタイ語でありがとうと言い、インスタグラムとフェイスブックのアカウントを交換してから別れた。彼は最近徴兵されて軍服丸坊主姿になっている。スラータニーの宿は清潔でシャワーから温水が出て、洗濯機が使える。同世代か少し上くらいのオーナーは限りなく親切だった。

 宿の周囲に飲食店はほとんどなく、あったとしてもすでに店じまい後だったけれど、10分ほど歩くと地元のマーケットがあった。地元の人が食材や雑貨を買う場所で、エビ、アジっぽい魚、人参や芋や砂糖菓子といったものが大量に売っていて、観光客が食べられるような出来合いのものはあまりなかったけれど、奥の方に串焼きのようなものを見つけて晩飯にした。店番のおばちゃんはめちゃくちゃ気さくだった。隣にドラッグストアがあって、そこで水のボトルを買った。

 ゲストハウスに俺以外に宿泊客はいなかった。すくなくともロビーに出入りしていたのは俺とスタッフだけだった。スラータニーは本当にタイの片田舎の小さな地方都市だった。その外れにあるゲストハウスの周りには、本当に何もなかった。道の向こう側に1つだけ(2つだったかもしれない)家があり、道を通る車から見えるように広告が掲げられていた。車か何かの広告だったように思うが、定かではない。両隣は空き地や農地ではなかったはずだけれど、何があったのか全く思い出せない。あえて外出しようとも思わなかった。しばらくしてオーナーの旦那が帰ってきて、高そうな車を洗車してからゲストハウスに隣接した家に入っていった。オーナー夫妻はずいぶん裕福そうだった。儲けている、というよりかは恵まれた人たち、といった様子だったが、本当のところは全くわからない。どちらにせよ、このゲストハウスだけが周囲から浮いて洗練されていた。電飾と室内の明かりは、街灯もまばらな町外れの道路沿いにあって煌々と輝いていた。
 誰もいないロビーでは小さめのテレビがあって、MTVのドラマがかかっていた。西海岸の女の子が人魚と友情を育むというドラマ。まだ先学期のエッセイレポートが終わっていなかった。〆切は翌々日に迫っていた。電源Wi-Fi環境は整っていた。テーマには観光公害を選んでいた。旅先で観光公害を論じるのは痛烈な皮肉だった。「地域に根ざした観光のあり方が必要である」と書きながら、スラータニーの街をじっくり観光する気はあまりなかった。明日にはリゾートアイランドであるサムイ島へ移動する予定だった。そんなことを考えながら”middle of nowhere”といった趣のロビーにひとり居ると、さっきまでの一人旅の感慨はいつの間にか薄れていた。作業をする上では、場所は電源規格とWi-Fiの強さと椅子の硬さと以上の意味はあまりない。しかしながらこんなところまで学校の課題を持ち込んできた自分が圧倒的に悪いのでそれをとやかく言う資格は全くなかった。