9.ハジャイの朝

前回:KLを出発してタイへ

  タイ南端の街、ハジャイに着いたのが午前7時を過ぎた頃だった。日が昇っていることに一安心はするけれど、両替をし損ねているのでタイでは一文無しである。バスの小さな営業所以外、まだ街は閉まっていて、さらに悪いことに英語はもう通じない。

  ハジャイはタイだという以外は特段これといったところのない、小さな地方都市だった。二階建ての色落ちした商店建築が通りの両側に並び、四、五階建のビルがいくつか見える。相変わらず熱帯の太陽は強烈で、アスファルトに反射してほとんど白色に見えた。陽が昇りきってしまうと荷物を背負って歩きまわることはかなわない。ひとまず宿を探すことにした。かろうじてアルファベット表記のある、路地の奥の小さなゲストハウスを訪ねてみるが、どうも話が噛み合わない。相手がタイ語を喋るから当たり前ではある。金額も思ったより高めであった。

  店が開き始めるのを待ちながら、同じように要領を得ない宿探しを続けていると、国鉄の駅の前に出た。タイでの移動は国鉄を使うつもりだったので、下見をしておくかと思っていると、バックパッカーの女の子がトゥクトゥクの客引きに苦戦していた。話しかけてみると彼女はドイツ人で、鉄道で南下してきたという。

  我々は駅の脇の、開いたばかりのコーヒースタンドでアイスコーヒーを飲み、彼女は際限なくタバコを吸っていた。あいにくの一文無しだったので彼女が二人分を払ってくれた。申し訳ないが仕方ない。彼女はタイより北の東南アジアの見どころをくまなく教えてくれた。いわくハジャイは特に見どころはないそうだ。タイ中部のスラータニーのゲストハウスは綺麗でとても快適だとも言っていた。これも何かの縁だと思い、このまま次の列車でスラータニーまで行こうと決めた。ハジャイでの宿探しにも辟易していたので丁度よかった。

  ドイツ人と別れた頃には、店もぽつぽつ開きだしていた。何か所かを回って、一番レートの良かった中国系の両替店でなんとかバーツを手に入れた。筆談と身振り手振りをフル活用した。店員はみんな優しかったし、Wi-Fiを教えてもらってGoogle翻訳を使えるようになると全ては解決した。結局この両替所はタイ国内のどこよりもレートが良かった。両替所のWi-Fiで宿の予約もできた。電車の時間まではまだしばらくあった。

  タイ国鉄は驚異的に安かった。4時間の道のりが300円弱で乗れてしまった。ホームには果物や野菜や握り飯を売る売り子が暇そうに列車を待っていた。電車は当然のように何十分も遅れていた。まったく驚きはしないが、放送を聞き取れない身としては神経は張り詰めざるを得ない。こういう場所での失敗は命取りになりそうなのだ。  タイの気楽な日差しとこの緊張感は奇妙なミスマッチだった。

   ホームのおばさんからフライドチキンと握り飯を買い、マレーシア人と間違えられたりもした。俺はそれを否定するタイ語も知らなかった。「ありがとう」しか知らない。そんなこんなしながらも、ちゃんと10時半には北へ向かう列車の木製のシートでタイ人とお天気の話なんかをしていた。もちろんグーグル翻訳で。