2018.08.29

 寮の部屋は4人部屋で、僕は右奥の角のベッドなのだけれど、僕が来たとき先にいたのはベトナム人のアレックスだけだった。彼の机の上にはタイプライターがあって、休暇中もどこへも行かずに部屋にいた。オールドファッションなミニマリストと自称しているけれど、日本人が言うところのそれよりずっと肩の力が抜けている感じがするやつ。

 

 しばらくして短期留学の日本人がきて俺の隣の右手前が埋まり、先日最後のベッドが埋まった。これまたベトナム人のスティーブンで、顔立ちはちょっと韓国人感がある。その日は家族がシンガポールへ来ていて、僕は彼らとホテルに泊まって観光ガイドと息子の二役をやっていた。観光ガイドは明らかに向いてなかったし、息子役はこの四年間、思い出したように帰省するときくらいしかやらないから、三日目に忘れ物を取りに一時帰宅したときには随分うんざりしていた。帰ってみるとスティーブンが来てたから、握手だけしてまた息子ガイドをしに階下へ。

 

 次の日にやっとお役御免になって帰ってくると、アレックスが神妙な顔でなにか言う。よく聞き取れず、はじめ日本人留学生の彼が死んだのかと思って背筋が凍った。実際には死んだのは彼の弟で、弟さんは海上自衛隊にいると以前ビールを飲みながら話してくれていた。たしか19かそこら。事故にあったらしいけれど、詳しいことは知らない。スーツケースはそのまま、ベッドには手帳が置きっぱなしで、机の上にはコーラのペットボトルが2本と目覚ましが2つ、綺麗に並べて置いてあった。それ以来僕の隣のベッドは時間が止まっている。まるでその日本人留学生が死んだみたい。

 

 弟が突然死ぬのはどんな感じなんだろうとか、そもそも2ヶ月しかいない予定だったからもう戻ってこないかもしれないなとか、アメリカ滞在中に祖父が死んだとき、母親はこういう感じだったんだろうか、とかいろいろ考えるけど、自分は授業を受けに学校に行かなければならなかったり、飯を食おうとか思ったりしてると、やっぱり他人の死はどこまでも他人事だなと思ってしまう。会ったこともない、写真で見たことすらない人の死がかなりの存在感で隣にあるのは奇妙な気分だ。