痛恨のミス/相対的な人間

痛恨のミスを犯してしまった。もっとも月一くらいでこの手の痛恨のミスはやらかしてるけど。春から休学するつもりでOKB先生に「そのことで相談を」ってメールしたら「なにしてんの、期日明日やで」と。そろえなあかん書類はもう間に合いそうになく、「すんません、やっぱ今回無理そう」。すでに奨学金の期日もやらかしてのがしてるので、もう大学院計画はぐだぐだです。もとはといえば教務のHPに「一ヶ月前くらいかな」みたいなテンションで書いてあったからそれを信じ切ってたのが原因なんやけれど、大事なことってほとんどHPに書いてないよね。便覧のPDFくらいアップロードしておいてくれていいのに。本郷ならこういうときすぐに教務課に行けるし、そもそも休学しようと思った時にオフィスに聞きに行けるんやけど、柏はなー… 新領域に進学してからできるだけ柏に行かないで済むようにしていたんやけど、最近それで不便を被ることが多くなってきた。それでも柏に通おうとは思えないけれど。しかしまったく、これから社会に出てまともに生きていけるとは到底思えない。うっかり脱税とかしそう。

俺が柏に行きたくないのは、もちろん遠くて高いっていうのもあるんやけれど、人がいない、っていうのが一番大きいと常々思っている。本郷より院生室の割当は大きいし、製図室も一応あるし図書館もあるから、居心地はいいはずだけれど、北千住から1駅のところに柏があったとしても行きたいとは思わないだろう。あの寒々とした駐車場とか人のいない院生室とか研究室とか、どうも耐えられない。隣に60Hz貧乏ゆすり野郎が座ってきたとしても総合図書館のほうがいい。RKWさんにその話をしたらあんまり理解されなかった。もっともRKWさんとは意見が食い違うことの方が多いから、とくにどうというわけでもないけど。

人の少ない場所にいるのは、寂しい。一日中誰とも話さない、とかの寂しさとは違った意味で寂しいし、俺の場合前者のほうが不快に感じる。人気のない田舎で暮らさなければいけない寂しさと、友達もなく一人で満員電車に揺られる寂しさ。カフェで勉強したり仕事したりしてる人も俺と同じタイプやと勝手に思っている。はいそうです、カフェ勉強するタイプです。自意識が強いんだろうと言われれば特に否定もできないけれど、少し違うような気もする。俺は相対的な人間なんじゃないかと思う。社交的とか、評価を求めているとかとはちょっと違って、相対的。どこにいてもだれといても、やるべきこと、やりたいことを遂行できる人たちがいるというのはなんとなく感じるのだけれど、彼らは「絶対的」な人間なんじゃないかな。俺は周りに人がいて、その人達の仲間としては存在していなくても、比較したり自分の立ち位置を確認したりできる環境が必要なのだと思う。

ということで、俺が書類の期日を逃し続けるのは人気(ひとけ)のない柏にキャンパスを作ったやつが悪い。しらんけど。